ことばの活動

一般社団法人ことば代表理事の谷田川雅基が「ことば」にかける想い

こんにちは。

一般社団法人ことば代表理事の谷田川(@yatagawa0422)です。

今回は、ことばのnoteで投稿されている「ことばのなかま」で紹介された

内容をさらに深堀して発信していきます。

原文はこちら

1.ことばに参加したきっかけ

東日本大震災の発生〜恐怖と葛藤〜プロジェクト参加

2011年の東日本大震災が発生した時に、わたしは福島県郡山市の実家で4月からの大学進学(上京)に向けての準備をしていました。

揺れが発生した時は、免許取り立ての車を運転し赤信号で停まっている時でした。

普段から風が強く、地震の時も最初は強い風だと思いました。

しかし、道路を歩いている人がその場に座り込み、他の車も信号に関係なく走り出さず、近くのお店の看板が今にも倒れそうな状況から「ただ事ではないこと」がわかりました。

実家に帰ると、窓が全開でテレビや棚は倒れ食器は全て割れてしまっていました。更にテレビのニュースを見ていると津波で亡くなる方の数が3人、5人、10人、100人、1000人と桁がどんどん増えていることからもただ事でないことがわかりました。

わたしが住んでいた、福島県郡山市は内陸のため津波の被害はありませんでした。しかし、福島第一原子力発電所から55km圏内であることから、爆発した場合には死んでしまうかもしれない。という恐怖を感じていました。18年間生きてきて、始めて家族で「死」「被曝」「避難」等について真剣に議論していました。

(当時は、まだペットを受け入れてくれる避難所がなかったため、避難することは考えていませんでした。)

沿岸地域や宮城/岩手の人達のために何かできることがあるかもしれない。できることを何かしたい。という思いと原発の恐怖から外に出られない気持ちが常に心の中にありました。そんな悔しい思いを抱えたまま大学生になりました。

上京できない

東京に運ぶ荷物は車で運ぼうと考えていましたが、福島県内にガソリンはありませんでした。少しのガソリンを入れるために何時間も並んで1台10Lだけといったそんな状態でした。状況が少しずつ改善し東京に迎える状況になると次の問題が発生しました。

また、ベットや家具等の新生活に必要な道具は事前に購入し東京の家に届けてもらう予定でしたが、配送が遅れ荷物も届きませんでした。そのため、何日かはフローリングの上に新聞紙を敷いて寝る日々が続きました。

大学1年生の時には、東日本大震災への想いを持ちながらも何も活動はできていませんでした。2年生になる時に同じ大学の友達に誘われた入ったサークルをきっかけに「僕らの夏休みProject」と出会いました。

2.学生だった頃、どうのように活動していた?

私が初めて「僕らの夏休みProject」(通称:僕夏)に参加したのは、プロジェクトが2年目の2012年の時でした。

僕夏の2年目は、1年目に比べて首都圏から参加した大学生は2倍以上になったときでもありました。

20人ほどの小学生に対して50人の大学生が訪れたことで、大学生の中でも目的意識を持って活動している大学生と、遊びにきている意識の低い大学生が存在してしまっていました。

そんな中での活動だったため、小学校関係者や地元住民など様々な方からお叱りを受けました。大学生が主体的に活動する「僕夏」の課題が浮き彫りになりました。

一方で子ども達は笑顔でとても楽しそうに参加していました。そんな子ども達に寂しい想いをさせてしまってはいけない。大人の事情で子ども達に影響を与えてはいけない。この活動を継続するためには、大学生の意識を根本から変える必要があると思いました。

しかし、わたしは僕夏に参加したばかりの新入りでファウンダーの俊さん(佐藤シュンスケ)に「お前実行委員長(学生代表)やるか?」と山手線の中で言われるまでは、できると思っていませんでした。

子どもたちや地域の方々との継続的な活動にするため、活動内容はもちろん 大学生の姿が子どもたちのお手本になる様、事前の研修に力を入れていました。

事前の研修と言っても特別なことは何もしていません。

「気づき」「アンテナ」をテーマにそれぞれが気づくための準備(アンテナを貼る)ことで個人の気づきを組織で共有することができます。1人では気づけないことも組織でなら気づけることがあります。

また、わたしは特別スキルがあった訳ではなかったので、想いと姿勢について何度も伝えることで意識改革を行いました。

わたしの方針が嫌で辞めていった学生も沢山いました。100人近くいたメンバーも最終的には60人前後になってしまいました。

残った60人のメンバーは想いを持って取り組む大学生ばかりでした。

大学4年生の夏以降に事務局に就任し、大学生の活動サポートに取り組みました。

3.ことばで働くことを決断した理由

大学3年生までは、高校教師を目指して学部の授業と並行して教職も履修していました。

しかし、
「教育は学校でしかできないのか。」
「私が教えたいのは教科なのか。」
「お金をもらえなくても教員になりたいのか。」
「親になって子どもを教育するだけではダメなのか。」

等様々な迷いがありました。

福島県の教員採用試験も受験しましたが、勉強していなかったので、しっかりと不合格になりました。

そこで、僕夏で出会った子どもや大学生をサポートすることで子ども・若者が将来に絶望することなく生きていける環境を作ることがわたしの考える教育に繋がると思いました。

その思いが、教員になる道ではなく「僕夏」を法人継続していこうと思った大きな理由ででした。

また、大学4年生の時に出会った社会人に「ボランティアは大学生にしかできない。」
「お金を生まない活動は社会的に価値のない活動」「その活動をいつまでやるの?」と言われたときの悔しさが、法人化して活動を継続させようと思った原動力になっています。

【就職せず活動を継続しようと決断した時の障壁】

●親からの2時間に渡る説教

●奨学金の返済

4.ことばを設立した理由

法人格を持たない任意団体「僕らの夏休みProject」として活動を継続していくこともできました。

しかし、ファウンダーの俊さん(佐藤シュンスケ)は早い段階から法人化と言っていました。「社会的信用を獲得するために」と言っていましたが、学生のわたしたちには法人と任意団体の違いがわかっていませんでした。

しかし、活動を継続して多くの人達と話す中で任意団体では、「ボランティア活動をしている団体」「良いことをしている団体」という認識で終わってしまいます。

法人格を取得することは、ステークホルダー(関係者)に“事業を継続していく”というメッセージをアピールすることだと考えました。

5.10年後のことば理想像については?

10年後は、ビジョンとして掲げている「自分の人生を1からデザインする楽しさであふれる社会」に近づくために事業を継続していると思います。

ボランティアや単発イベントだけでなく、事業を作り継続していきます。

これからもビジョン達成に向けて走り続けていきます。