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【自己紹介】谷田川雅基って誰??何してるの?

はじめまして。

谷田川雅基(@11as093)です。

ここでは、このブログ「やたログ。」と

谷田川について詳しく紹介していきます。

(ちょっと長めの紹介になってます〜)

このブログタイトルは、

「日々の記録が誰かの役に立つ。」という意味が込められています。

人は置かれた立場によって考え方が変わってしまいます。

部活、アルバイトなどの何もわからない不安な時に、

優しく教えてくれる先輩は貴重で、何も教えてくれず

「今年の1年は、」

「今年の新人は」という先輩は苦手だし、

先輩になってもそうはならないと思うはず。

しかし、大抵の人が先輩の立場になると何を教えればいいのか、

何がわからなかったのかわからなくなることも多いと思います。

このブログは、

「わたしの過去の悩みや気づきが、今悩んでいる誰か、当時のことを思い出す際の役に立てれば」と思って書いていきます。

生き方や法人運営、

参考になった本の紹介、

旅行で気づいたことも「リアルタイム」

で公開していきますので、

よろしくお願いします。

小学校入学〜卒業まで

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1992年福島県郡山市生まれのゆとり世代。

起きている時間は、常にしゃべっている。

「100円あげるから、1時間黙っていて。」と母親に言われ、

5分も経たないうちに、「100円いらない。」からとしゃべり始める子どもでした。

ちょろすけで、何も考えずに毎日を楽しく過ごしていました。

そんなわたしが小学校の生活の授業で地球温暖化問題を知りました。

先生からは

「みなさん何ができるか考えましょう。」と言われました。周りのみんなが、

「電気をこまめに切ります。」

「お母さんにも注意します。」

などと言う中で、そもそも

「人間が生活する事自体が、地球にとってよくない最大の原因ではないか。」

と思うようになりました。

その日から、食事は喉を通らず、味噌汁1杯を完食することもできませんでした。

毎日夜になると、生きている意味がわからなくなり、朝ごはんは苦痛の時間となりました。時間の制約があるのに、食事が終わりません。

食事ができないことで、家族にも心配をかけ、また当時所属していたスポーツ少年団の監督、コーチにも、

「飯食べろ。」など言われ、そのストレスも更に状況を悪化させることになりました。

この時初めて死にたいと思いました。

実際にタオルで首吊りをしてみましたが、途中で苦しくなってしまい、タオルに手を入れて死ぬことを諦めました。

生きる意味がわからなくても、死にたくても自分は、怖くて死ねない。と悟りました。

自分で死ぬことを選択できないのだから、「生きるしかないか。」と

開き直ることができました。

中学入学〜高校卒業まで

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中学入学を気に野球部に入部しました。

担任兼野球部の先生との衝突が毎日ありました。

対抗することに夢中になり、

「生きる意味」や「ご飯が食べられない。」といった事が徐々になくなっていきました。

中学3年となり、人生で初めての受験。

田舎の場合には、高校受験が初めての受験の場合も多く、

日常的に勉強することはほぼありませんでした。(他の人は違うかも。。)

勉強の計画を立て取り組みました。

・1時間ごとに科目を変える。

・5分考えてわからないことは答えを見てからやり直す。

・22時以降は勉強しない。

最初で最後の受験勉強。

半年間本気で取り組みましたが、初めての高校受験は、県立高校に落ち私立高校に入学する事になりました。(結構な絶望感でした。)

1日10時間近い勉強も報われず、高校進学に前向きになれない時期がありました。

日大東北高校に入学

そんな時に当時の担任が初めてクラスで話した一言で救われました。

「高校受験で思い通りにいった人もいかなかった人も、環境が変われど人がやることみな同じ。」と教えてもらいました。

受験に失敗したことで前向きに考えられなかったけど、これからは先のことに目を向け、どんな場所に身を置こうが自分のやるべきことは同じなんだと納得しました。

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高校時代は野球漬けの毎日。

朝から夜まで野球、家に帰り風呂、食事、寝る。の毎日を繰り返していました。

ベンチに入れず、応援部隊でしたがその時に学んだことも

今に生きていることが多くあります。

・挨拶、礼儀、

・洞察力、思考力

・組織の役割

などなど本当に多くのことを学びました。

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高校の卒業をまじかに控えた、2011年3月11日東日本大震災が発生しました。

福島県の郡山市は震度6強の地震に見舞われました。

当時、免許取り立てで運転中の信号待ちで地震が発生しました。

車を誰かに上から持たれて揺らされている。そんな感覚を持ちました。

目の前にある家電量販店の看板が落ち、外を歩いている人は座り込み、家の窓は鍵が全て空き、テレビや本棚、食器は倒れて壊れていました。

家族全員が無事であることを確認した後にテレビで見た映像は、原発事故と津波の映像でした。

1桁単位で亡くなった方の数が増え、何かできることはないか。

と考えると同時に、原発が爆発したら、そのまま死んでしまうのではないか。

という恐怖がありました。

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3月の下旬に東京への上京も控えていましたが、

ガソリンが手に入らず、家から出ることも難しい状況でした。

 大学入学〜これまで

入学式やオリエンテーションがなく、

5月から大学の授業は始まりました。

大学1年生の時は、口で震災に対して何かしたい。と言っていたものの、

何もできずにいました。何をしていいのかわからなかったことも大きいと思います。

2年生になり、はじめて参加した「僕らの夏休みProject」で、

(下記詳細記事)

www.yatalog.life

8月に岩手県沿岸地域(宮古市)を訪れました。

震災から1年が過ぎた街には何もなく、家の基礎が残されたまま。

僕夏は、小学生と大学生が長期休暇を利用して子どもたちと宿題や運動等を通して交流し、お兄ちゃん、お姉ちゃんのような存在として、

彼らが大人になるまで活動を継続し、またその子たちが次の世代の子どもたちに、何かできるような仕組み作りを目的にしています。

私が小学生の時に感じたことが

震災によって起きたり、何も悪いことをしていないのに、沢山の人や物を失ってしまった子どもたちと本気で遊ぶ。

継続することで、そのサイクルを作る。

3年生で学生のリーダーである、実行委員長になることを決めました。

子どもたちを「笑顔にする」ためには、周りにいる大人たちもにも、

活動の価値を感じて仲間になってもらう必要を感じました。

また、大学生は活動内容が単純である事からも、

この活動を通して、子どもたちにどうなって欲しいのか。

どんな姿でありたいのか。を考えて活動する必要もあるとおもいました。

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谷田川 雅基 | Facebook

大学を卒業してからも、この活動を継続して行くために何か

できることはないかと考え、実際に子どもたちと遊ぶことではなく、

活動自体を支えることができればいいなと思い現在も継続しています。

活動の詳細と法人設立に至る経緯は以下の記事でご紹介しています。

www.yatalog.life

まとめ

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死にたいと思ったことも、悔しい思いも

全て今の自分をつくっていると思います。

今の苦しみや悩みは無駄にはなりませんん。

ただ辛いことから逃げても大丈夫。

まずは自分を守りましょう。